負け犬、勝ち犬を夢見る

負け犬が勝ち組にるためのライフハック

自信を持つということは限られた才人にのみ許されたことだという話。(楽観論)

 

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自信をもとうと様々なところで僕は言われてきた。

 

しかし、生まれてこの方僕は自信というものを自分でコントロールできたことはない、自信なんてものは持とうと思って持てた試しは殆ど無い。

もちろん、直感で自信を自由にコントロールできたらいかに素晴らしいかはわかっているつもりだ。

 

この文章は自信を持つことができない大学生が書いている。

厳密にいうなら自信を持とうと物心ついてから努力を重ねたが

結局努力実らず、自信というものをコントロール出来ない人間が書いている。

 

そのことを踏まえてもらったうえで僕の考える自信論を書いてみる。

とは言っても、結論の半分以上はタイトルに書いてある。

 

 

自信とは何か

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まず、自信の意味を辞書で調べてみる。

すると、自分の価値や能力を信じることと書いてある。

自分を信じる。これが自信ということだ。

以上。

 

では、1つめの本題に入る。

「人間は自分の力で自信をコントロールすることは可能なのか?」

ということだ。

 

自信というものをコントロールすることは可能か?

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僕の持論は、自信というものをコントロールすることは不可能ということだ。

いろいろ考えた末にこのような結論に至った。

何故か、

 

信じるという行為は、根拠が必要だからだ。

 

よくよく考えたらあたりまえの話だ。

例えば、あなたが幽霊を信じているとすれば、それはあなたが幽霊のようなものを見たからであり

あなたが努力が必ず報われると信じているなら、それは今まで努力したらそれ相応の結果があなたの中で出たからだと言える。

逆に、幽霊の存在をみたり感じたりしたことない人は幽霊を到底信じられないし

努力が失敗に終わった人間は、努力が完璧に報われるということを疑う。

 

そして、これは自分を信じるという行為にも当てはまる。

つまり、自分を信じることにも何かしらの根拠が必要ということだ。

 

そして大抵の場合自信の根拠とは自己の経験によって作られる。

(実は例外が在る気がするのだがうまくまとまらないのでかんべんして欲しい)

 

そして、自分を信じるに値する自己の経験(まあ大抵の場合成功体験)を持たない人間は自信を持つことなどできない。 

 

このことは当たり前の話だ。

僕は愚かだからこの歳になるまで気付かなかった。

 

この論に対する反論

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この論に対する反論として

理由もなく自信満々の人がいるのではないか?

ということが考えられる。

 

しかし、僕は理由もなく自信満々の人など存在しないと考える。

おそらく理由もなく自信満々の人などいない。

もしそのように見える人がいたとしても、本人には何らかしらの根拠というものがあるはずだ。

(もしくは、自信満々に見せるのがうまいというだけかもしれない。)

 

 

自信の持てない僕らはどうすればいいか

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そもそも自信を持つことは本当に必要なのだろうか。

必要じゃない!!

そう言いたいところだが、あるに越したことはない。

 

しかし、ないからといって絶望するものでもないと思うのだ。

自信というものは、慢心、傲慢という性質を持っている。

 

自信は、あるに越したことはない。

しかし、自信がないからと言ってそこまで問題はない気がする。

それより、自信がないことを問題視し過ぎるあまり動けなることが僕は一番問題なんだと思う。

 

つまり、僕が言いたいことは自信なんかなくても気にするなということである。

 

この文章は友人が自信をもてないとかいって、やるべきことから逃げていたから書いてみた。