留学って意味が無い?そもそも英語って殆どの人には意味が無いんじゃないかって話。(コスパ悪い)
留学って意味があるのだろうか?(語学留学)
そもそも
英語って必要なのかなぁ?
最近そのように考えることがある。
まあ僕がこんなことを言い出したのは、英語を勉強するのがつまらないからだ。
(当たり前である。もし僕が英語が得意だったり、好きだったりしたら僕は英語を勉強すべき3つの理由みたいな記事を書いている。)
ここから僕の言い訳を書かせて貰う。
暇な人はお付き合いいただけると嬉しい。
英語を学ぶ人が考えていない2つのこと。
留学までして英語を学んでいる人は、ある意味素直な人が多い気がする。
コレは、個人的な感覚だがおそらくある程度あたっている気がする。
話を戻す。英語を学んでいる人が考えていないであろうこと2つである。
- 英語を学ぶということは英語のある人生を送るということ。
- 英語はただの道具。本当に大事なのはその人の中身だということ。
この2つである。
英語を学ぶということは英語のある人生を送るということ。
英語を学ぶことは、英語のある人生を送る事を意味する。
こんなことを高校の時の英語教師に言われた。
コレを僕なりに噛み砕くと、
英語を学ぶ必要のあるものは、英語を頻繁に使う環境で生きていく人間だけだ。
となる。
英語は、実際に使わない人間が学ぶのは時間の無駄だ。
またトイックを持っているだけで企業に評価される時代も終わりつつある。
(余談だが、TOEICは日本と韓国以外ではマイナーである。)
それに、英語が喋れる低賃金労働者は、東南アジアに腐るほどいる。
あなたが、将来英語圏で生活するなら、仕事で使うなら、英語は学んでおく必要がある。
しかし、そうでない人間にとって英語を学ぶというのは明らかに労力が合わなくなってきているのかもしれない。
つまり、留学先で英語を使いある程度話せるようになっても、どうせ将来使わなくなるなら語学留学はいらないといえる。
英語はただの道具。本当に大事なのはその人の中身だということ。
英語は言葉だ。言葉はただの伝達手段でしかない。
そして伝達手段が役に立たせるためには、人間の中身が必要だ。
僕のいう中身とは何か。
教養である。知識である。
最近、僕が強く感じる事に
「知識量が圧倒的に違う人物とは話ができない」
ということがある。
今年に入ってから、僕もそういうことが何回かあった。
そういう人物と話すと途中で恥ずかしくなって、僕は一言も話せなくなる。
無理して話そうとすると、自分の無知を露呈する。
(今思い出してもトラウマだ。)
しかし、この経験を通して僕は断言できる。
僕達が真っ先に身に付けるべきことは英語じゃない。教養だ。
英語なんて話せなくても日本には1億3000万人もの人がいる。
日本人で自分よりすごい人、賢い人はいくらでもいる。
しかし教養がないとすごい人、賢い人からは相手にされない。
どちらを選ぶべきかは明らかだ。
きちんと教養を持ってから英語は勉強すべきなのだ。
そもそも、英語は全人類が使いこなせる時代が来る。
今までが、常識的な?英語不要論だった。
ここからは、新しい英語不要論を述べる。
それは、
AI技術の発展によって翻訳技術は急速に発展しているので、あと10年もしないうちに僕らは英語を何らかの道具によって使いこなせるようになるだろう。
ということである。
AI技術と言語というのは非常に相性がいい。
しかも言葉のビックデータほど集めやすいものはないだろう。
極めつけは、Googleが
「あと10年くらいで翻訳家という職業をこの世から消してやるー」
みたいなことを言っていた。(多分)
つまり、英語を喋れる価値が大暴落する未来が近づいている。
だから、僕は英語を勉強しても徒労に終わる未来しか見えない。
日本の英語教育の本当の目的
日本の英語教育は実用的でないとよく言われる。
僕は、この意見に意義を唱えたい。
日本の英語教育は実用的でないと批判をする人はあることを誤解している。
それは英語を学ぶ目的が外人とコミニケーションを取ることができるようにすることと思っていることである。
本当の英語を学ぶ目的は、海外の最新の論文を読むことができるようになるためだ。(文科省の公式見解。たしか)
つまり、日本の英語の教え方が悪いなどと批判する人は明らかな的はずれな議論をしている。日本の英語教育は難しい論文を読むという点においては明らかに優れているからだ。
実際世界である程度英語が話せている外人より、日本の受験生の方が英論文の理解度に限っては読みこなせるはずである。
繰り返す。
日本の英語学習は実用的だ。
日本の英語学習をしっかりすれば、英語で世界最新の研究ができるようになるからだ。
僕が英語を学習する理由
僕は、ある理由があって英語を勉強している。
もちろんこのブログでは書かない。金儲けの秘技になる気がするからだ。
(許して欲しい。僕は、負け犬なのでみんながこのことを知ったら僕は一生這い上がれない。)
ヒントは、裁定取引。
これ以上は書かない。
まとめ
英語の勉強は、昔は割のいい行動だった。
しかし、これからはどんどん割が合わなくなってくる。
コレが僕の私見だ。
だから僕は、英語を本腰を入れて勉強はしない。
(僕みたいな弱者は、他人と同じことをやっているとろくな人生を送れない。)
しかし、英語を勉強することは、勝ち犬にとってはまだまだ割のいい行動だと思われる。
勝ち犬は、どんどん英語を勉強して欲しい。
しかし、負け犬に僕は英語をおすすめしない。