コミュ力を鍛える方法。そもそも負け犬はコミュ力に対し幻想を抱きすぎだという話。
コミュ力。正式名称コミュニケーション能力。
この能力を上げたいと考える人間は多い。
(コミュ力がカスな僕がこの文章を書くのは恥ずかしい。)
しかし、大抵の人はコミュ力について誤解をしている。幻想を抱きすぎている。
コミュ力は鍛えれば上がるとか、コミュ力さえあれば全て上手くいくなどが典型としてあげられる。(特に負け犬は大抵こう考える人間が多い)
そして、このような負け犬たちはこの考えにとらわれ日々コミュニケーション能力について考えている。悩んでいる。
全く役に立たないコミュニケーションの本やセミナーにお金と時間をつぎ込んでいる。
そんなこと今すぐやめるべきだ。そんなことをしたところであなたは何も変わらないし、それどころかコミュニケーション能力がない自分に嫌気が差すだけだ。
(なぜ、コミュニケーションの本が役にたたないか。勝ち犬向けに作られているからである。つまり僕を含めた負け犬にはたいてい役に立たない。勝ち犬が書いたものは負け犬に再現性がない。)
最初に結論をいう。
コミュニケーション能力は鍛えられないし、そもそも皆間違った想像をしている。
コミュニケーション能力に対し幻想をいだき過ぎである。
コミュ力とは何か
そもそも世間で言われるコミュ力とは何なのだろうか?
コミュ力の辞書的な意味は、他者の言いたいことが理解できる能力と自分の言いたいことを他者に伝えられる能力のことである。
そんなものは殆どの人間が持っている。
つまり、辞書的な意味では人間の大多数がコミュ力を持っていることになる。
そして、辞書的にはコミュ力を挙げるためにはおそらく語彙力を向上させて難しい本をたくさん読めば上がると思う。(たぶん.....)
しかし、コミュ力の上げ方を探している負け犬は辞書的なコミュ力など求めていない。
本当に探し求めているのは、
「人に好かれる能力。人と仲良くなる能力。人に軽く扱われない技術」
である。
それを世間の人々はコミュ力という。
コミュ力なんて、会話内容じゃ決まらない。
端的にいう。
世間ではコミュ力の鍛え方にに聞き上手がよくあげられるが、大半の人間にとって効果的と言えない。
世間で言われているコミュ力を向上させるには、
優れた外見を持つか、もしくは権力(地位)を持つかの2つしかない。
(もちろん取り入る技術や手下になる技術は別にあるし、負け犬は道化になれば楽しく生きていけるがここでは割愛する。)
身も蓋もないが例えばあなたが、佐藤健になったとする。
きっと、それだけであなたのコミュ力の悩みは吹き飛ぶはずである。
あなたが、金持ちになって権力を手に入れたとする。
きっと、あなたの周りには人が集まってくるはずである。
皆あなたのことを無下にはしないし、気を使ってくれる。
(それを、友だちと呼ぶかいいか悪いかはさておいて)
あなたが、ライブハウスで有名なバンドマンになったとする。
(ライブハウス内において権力を持っている。)
ライブハウス内では、あなたはコミュ力マックスになれるだろう。
コミュ力を鍛えたかったら磨くべきは会話の技術ではない。
コミュ力を鍛えたかったら磨くべきは外見と権力である。
(こんなこと勝ち犬は言わない。無用な恨みを買うだけだからである)
この事実を、コミュ力に悩んでいる人間は失念している。
聞き上手を極めれば、コミュ力が上がると幻想を抱いている。
しかし、それは、魅力のある人物に限った話である。
外見も権力(地位)もぱっとしない人間に他人は興味を示さない。
なぜなら、人間として魅力を感じないからだ。
(逆に言うと魅力は外見、権力によって決められるとも言える。)
それよりも外見を磨くか、権力(地位)を手に入れる努力をすること。
コレこそが負け犬ができる最善のコミュ力の鍛え方といえる。
つまり、負け犬は人間的魅力が圧倒的に足りていないのでまずそこから鍛えましょうという話である。
(もちろん、聞き上手も大事である。あなたがある程度の外見とある程度のコミュニテイー内で保持していて魅力的ならば)
負け犬のぼくが言いたいこと
コミュニケーションにおいては、何を話したかが重要視されることはあまりない。
それよりも誰が話したかが重要視される。
今日はこのことを覚えて欲しい。
そもそも、人間というものは他人が何を話したかなんてあまり重要視しない。
ある天才が言ってた。
「会話なんて、ただの傷の舐め合いでしょ」と。
(流石に僕もここまではひねくれていない)
話がそれた。戻す。少し昔話をする。
今上に書いたことと矛盾するかもしれないが、
僕が高校生で外見がひどくクラス内で権力を持っていなかった時でも、何人かの人間が僕の事をちゃんと扱ってくれた。
(やっぱり矛盾はしていない。大抵の場合上の事のほうが正しいからだ。現に僕も外見を変えてから以前と比べて人に軽く扱われることがかなり少なくなった。)
そういう人間にはとても温情を感じているし現にいまでも仲良くしてもらっている。
ここで何が言いたいか。
自分が、ダメダメなときに仲間でいてくれる人間がいかにありがたいかということである。
そういう人間がもしいたら大事にしよう。恩は返そう。
人間皆誰かの温情に生かされている。温情をもらいっぱなしは良くない。
あなたの人間関係がうまくいくことを祈っています。