失敗をあまりしていない自分を要領いいとか思っていませんか?だから負け犬なんですよ。(自戒)
今日はつい最近あった出来事を話す。
私事で申し訳ないが少しお付き合いしてもらえればと思う。
僕はいまカナダに居るわけだが、よく行く日本食のお店がある。
そこの店は、正直に言うとコストパフォーマンスがいいとは言いがたいが
何しろ店員さんが可愛い。とっても可愛い。
なので僕は足繁く通っていたのだ。あわよくば仲良くなって遊びに行きたいなとか考えながらである。
僕は、とりあえず店主と仲良くなることにした。
そのほうがいろいろと動きやすいなと考えたからである。
そして、まあまあ店主と仲良くなってこれからだという時に、
可愛いお姉さんがプライベートでイケメンな彼氏と食事をしているところに遭遇したのである。
僕はとても悔しい思いをした。
僕が悔しかったわけ
この話を読んで、なぜ僕が悔しかったか分かるだろうか?
もちろん、お姉さんに彼氏がいたからではない。
(そもそも可愛い女には大抵彼氏がいる。そんなこと知っているし慣れっこである。)
僕が悔しかった理由。
それは、お姉さんを食事に誘うという行動迅速に取らなかったことだ。
何かと理由をつけて逃げてばかりいた気がする。
自分を負け犬と認識しておきながら、失敗をおそれ行動を移さない。
こんなことしているようじゃ一生僕は負け犬から抜け出せない。
失敗しなくて良かったと捉えるか機会損失と捉えるか。
この件に関して、2つの捉え方がある。
一つは、恥をかくという失敗を避けれた。
つまり、失敗を避けれたから良かったんじゃないかという考え方。
もう一つは、せっかくのチャンスだったのに動かなかったことで機会損失をしたという考え方。
イケメンな彼氏がいたのは結果論である。
もしかしたらいなかったかもしれなかった。
もちろんどちらの選択が良いということはない。
挑戦をしないで失敗を避けるというのは立派な選択の一つだと思う。
しかし負け犬の僕が勝ち犬になるためには、挑戦から逃げるということは一番やってはいけないことである。
負け犬が勝ち犬に近づくためには、負け犬の何倍もの挑戦をしなければいけない。
恥を書くことを恐れてはいけない。
失敗を恐れることで機会損失をしたことはもちろんのこと、失敗という経験を得る機会も失ってしまった。
点を入れるためにはシュートを打たなければいけない。アタリマエのことだ。
更に昔話をする
僕には中学校の時大好きだった女の子がいた。
懐かしい。今回記事を書いていて僕はそのことを思い出した。
あの頃はいろいろな意味でピュアだった。
本気で自分はかっこいいと考えていたし、自分は頭がイイと考えていた。
生意気なガキである。
そして、大多数の人間と同じように自分の無力さに気付いた。
そうそう、結局僕はその女の子に自分の気持ちを伝えられずじまいだ。
しかし、一応連絡先は持っている。
この記事に従うのであればいつか彼女に自分の昔の気持ちを多少の下心を持ちつつ伝えるのが良いのだろう。
しかし、なんだか綺麗な記憶を消したくないなと感じる自分もいるのである。
(ほんとに脳はやらない理由を考える天才である。)
いつか、勝ち犬になって彼女に連絡を取る妄想をしながら今日は寝ることにする。
おやすみなさい。