負け犬よ、キレイ事に騙されるな。
僕は、正々堂々という言葉が嫌いである。
理由は、シンプルで
正々堂々やったら、勝ち犬に100パーセント勝てないからである。
こんなこと、人に言われずとも自分がある程度の年になったら気付いた。
しかしである。
常識の壁というものは想像以上に高いものである。
僕は、正々堂々の下りは自らの手で気付くことができた。
しかし、おそらく他のところで常識に囚われている。
そのせいで勝てるかもしれない行動を取れないでいる。
そして、そのことに自分でも気付けていない。
負け犬は、いつの世の中も騙される。既成の価値観に踊らされる。
そこで、今日は負け犬の皆さんが特に捨てるべき常識を2つ紹介する。
1卑怯な手は使うべきでない
まず一つ目である。
先ほど上にも書いたが、
負け犬は卑怯な手を使わないと勝ち犬には勝つことができない。
(ビジネスだって、恋愛だって、人間関係だってである。)
しかし、僕が見るところ世の中の負け犬たちは卑怯な手を使うことを放棄している。
そんなこと頭に浮かんでいないようにみられる。
常識にとらわれ、そんなことは倫理的にも道徳的にもいけないとハナから決めてかかっている。
そんな常識捨てるべきである。
あなたが負け犬のまま一生を終えていいのなら常識や道徳にとらわれることに問題はない。
しかし、あなたがほんのすこしでも勝ち犬に憧れる心が残っているのならば
そんな常識なんて捨ててしまうべきである。
常識や道徳なんてものは、あなたが勝ち犬になった時に守ってますよアピールをすればいいだけである。
負け犬の時に律儀に正々堂々戦う必要はないのだ。
どうしても正々堂々の呪いから抜けだせ無いときは、歴史上の人物を勉強してみよう。
歴史上の人物は、良くも悪くも卑怯である。
(もちろん常識や現代人の感覚からしたらである。昔は、勝ってなんぼだったので当たり前だったのである。)
2人を羨んだり憎んだりするのはいけない
人を羨むことや憎むことのは良くない。このように僕たちは教わってきた。
しかし、この教えは負け犬が勝ち犬になるのチャンスを奪っている。
憎しみや恨みは、負け犬が持ち勝ち犬が持っていない稀有な財産だからである。
どういうことか。
負け犬が勝ち犬に勝つためには、尋常ではない熱量を必要とするということである。
具体的にいうなら、負け犬は
自分の恐怖心に打ち勝つ必要があるし
人の何倍もの失敗の経験が必要だし
人の何倍もの試行錯誤をする必要がある。
そして、この熱量を支えるのが恨み、憎しみの感情なのである。
世の中にいる元負け犬たちは、恨みや憎しみを糧にして勝ち犬に勝ってきた。
(もちろん負け犬は勝ち犬に完勝なんてとても無理である。せいぜい引き分けできれば御の字である。)
人を羨む心、憎む心を捨てることとは
すなわち負け犬が自分で自分を追い込むようなものである。
ただですら不利に生まれてきた我々の唯一の武器を捨ててはいけない。
この武器を使うことなく、僕たちは勝ち犬に勝つことはできないのだから。
まとめ
本日のまとめは
負け犬は卑怯な手を用い、羨みや憎しみをモチベーションにして生きていこう
コレが僕の言いたかったことである。
僕の知り合いの自営のおじさんが言っていた言葉を最後に書き結びとさせてもらう。
(要約で許して欲しい)
「僕の学生時代は、暗黒だった。何にも楽しくなかった。
しかしだからこそ学生時代を楽しんだ人間に対する恨みで、身を粉にして働くことができた。
金を自分の力で稼げるようになってから全てが変わった。
人が皆、俺を人間として扱うんだ。
俺は今までこんな経験なかったから驚いた。
社会的成功がこんなに評価されるとは思っていなかった。
一つ僕が君に言っておきたいのは勝てば官軍ということである。
だからどんな手を使ってもいい。成功しろ。
成功してから、常識を語れ。 」