反骨型負け犬の僕が負け犬について語ってみる。
勝ち犬である人はこの記事を読まないで欲しい。
この記事を読むのは時間の無駄である。
逆に、負け犬(特に反骨型)である人は、この記事には少なからず共感を持っていただけるはずである。
なので、負け犬の自覚がある人物はぜひ読んで欲しい。
本題である。
反骨型負け犬の僕の哲学について書いていく。
負け犬の分類
まずは、反骨型も含めた負け犬を細かく分類をしてみる。
一口に負け犬と言ってもいろいろな負け犬があるからだ。
今回は3つのタイプに分けてみることにする。
1つ目は、自己欺瞞型
自分は恵まれているとか皆感謝とかいう人間のことである。
この手の人間の特徴として、自分の欲望に素直ではないということがあげられる。
彼らは、人間本来持つ汚さのようなものを否定する。
(もちろん僕もたくさんの人間の助けで生きてられるし、そのことには感謝している。しかし、一方人間は奪い合いが根本にあるのかなとも考えている。)
2つ目は、悲観型。
自分なんてどうせダメだからというタイプである。
この手の人間は一時期は自分の事を高く見積もっていたが、ある時現実に気付きそれ以来負け犬であることを必要以上に意識してしまったタイプである。
彼らの心は強く傷つくこともないが、大きな歓喜を味わうこともない。
3つ目は、反骨型。
自分はダメダメだけど、いつの日か勝ち犬になることを夢見ているタイプである。
これらの人間は一言で言うならただのガキである。
現実を受け入れられないし、コンプレックスが人一倍あって勝ち犬に対し恨みのようなものを持っている。
そして、いつか勝ち犬になるために様々な無駄なあがきをしている人種である。
自己欺瞞型は、大人である。
悲観型は、擦れた大人である。
反骨型は、ガキである。
そして僕は、反骨型の負け犬である。
勝ち犬を夢見る負け犬である。
勝ち犬とは何か。
そもそも、僕はよく勝ち犬という言葉を使うが、勝ち犬がなんなのかを説明していない
なので、今回詳しく書いてみる。
僕の考える勝ち犬とは、健康、お金、人間関係の3つを持った人間である。
どれか一つでもかけてはいけない。全て持っている人間の事を僕は勝ち犬と呼ぶ。
そして負け犬とは逆に健康、お金、人間関係のうち何かを持っていない人間の事を指す。
反骨型負け犬の哲学
反骨型の負け犬の僕は、いつか勝ち犬になるために努力を重ねている。
そして、その中で哲学のような物を持つようになってきた。
今回は、その中でも言っておきたい3つを書いてみる。
1真実から目を背けないないこと。
人間は、簡単に自分を騙してしまう。
自分の力量を高く見積もったり、
やらない理由を考えたり、
見たくないものを見なかったりである。
しかし、そんなことしている間は勝ち犬になんかなれない。
負け犬の人生からは逃れられない。
2たくさんの試し打ちをすること。
負け犬は勝ち犬と比べてスペックが低いので、試行回数を重ね、経験値で量で勝つしか無いということである。ただそれだけ。
失敗の時に得られる経験こそ、負け犬が勝ち犬に近づく事のできる唯一の財産である。
3勝ち犬と同じことをしないで負け犬ならではの戦い方を心がけること。
勝ち犬と同じ戦い方をやるのは無駄である。
なぜなら、スペック勝負になってしまうから。
スペック勝負で負け犬に勝ち目はない。
残念であるが、世の中に溢れているライフハックやハウツーは勝ち犬向けである。
多少汚い手でもいいので負け犬は、負け犬ならではの勝ち方を実践すること。
さもなくば、勝ち犬と同等の成果を手に入れることなんてできない。
負け犬、勝ち犬を夢見る
このブログでは、僕達負け犬がどのように勝ち犬を目指すかについて書いていくつもりだ。具体的には、
- 負け犬の人間関係(恋愛も含む)について
- 負け犬が知るべきこれからの社会について
- 負け犬のお金の稼ぎ方やビジネスについて
- 負け犬のライフハック全般について
である。
僕たちは、今は負け犬かもしれない。
しかし、いつか勝ち犬になろう。絶対なってみせよう。
その一助としてこのサイトが役に立ったら嬉しい限りである。
負け犬にとって沈黙(聞き手)は金。雄弁(話し手)は銀だという話。
沈黙(聞き手)は金。雄弁(話し手)は銀
誰が言った言葉だったか思い出せない。
しかしこの言葉は初めて聞いた高校一年生以来覚えている。
負け犬の僕が空気を読まず話し続けていた時、親切にも友達が言ってくれた。
雄弁は銀である。
そもそも、このことわざ2通りの解釈がある。
1つは、額面どおり沈黙が雄弁に勝るということ。
そして、もう一つは、雄弁が沈黙に勝るということ。
コレは、自然に銀が生成されていることが殆ど無く、また鉱物の中に入っている銀を抽出できなかった時代では銀の方が金より価値が高かったことが理由だ。
このことわざは一応沈黙を進める諺として使われている。
(少なくてもここ最近に限って言えば)
ということは、人間の集合知的に言えば沈黙のほうが価値があるということである。
(コレと似たような例で、健全な肉体に健全な魂が宿るというものがある。アレは、本来は皮肉で放たれた言葉であった。はあー、筋肉野郎調子乗るなよみたいな感じである。つまり、筋肉マンを褒めていない。バカにしている。)
では、負け犬はこの諺から何を考えるべきか。雄弁と沈黙どちらを心がけるべきか。
雄弁は銀になり得るか。
先に結論を書いてみると、負け犬は雄弁を目指すのはやめておいた方が良さそうである。何故か。
負け犬が雄弁(話し手)になると自己愛を相手に露呈するだけになることが大半だからである。
負け犬は精神的余裕がなく、人に認められたいという欲望が強い。
そんな人間は、決まって自分のことしか話すことができない。
話す内容がどんどん自慢のみになってくる。
そして、人に嫌われる。自慢話のみの人間なんて面白くもなんともない。
当たり前だ。
もちろん雄弁は、きちんと使うことができたら銀になりうる。
きちんと使うとは、
他者が聞きたくない自慢というものをやめ、他者が聞きたいと思われる自虐ネタに徹することである。
ここで、負け犬の雄弁と勝ち犬の雄弁を比較してみる。
負け犬は、自分がいかにモテているかをはなし、
勝ち犬は、自分が振られた話を面白く話す。
負け犬は、自分がいかに有能かを具体例を出して語り
勝ち犬は、自分がいかにおっちょこちょいかということを面白おかしく話す。
負け犬は、成果を自分の手柄であるように宣伝して
勝ち犬は、ただ運が良かっただけと謙遜する。
ざっと思いつくものでもこんなものである。
(書いていて、いかに自分のコミュニケーションが負け犬的だったかわかった。)
負け犬は、自尊心が満たされていないのだ。
勝ち犬は、自尊心が満たされている。
この違いが、上記のような違いを僕達に生むのである。
決して、負け犬の心が卑しいわけではない。
ただ、環境が違うのだ。持っているものが違うのだ。
意識して、勝ち犬型の雄弁になれる負け犬はそれでいい。
しかし大抵の負け犬は、最初は良くても気付いた時に負け犬型のコミュニケーションになっているだろう。
沈黙は金になりうるか
雄弁が負け犬に取って目指すべき姿でないのはわかって頂けたと思う。
しかし、沈黙にもやはり弱点はあるのだ。
それは、負け犬の沈黙は根暗やコミュ症などの印象をあたえるということだ。
誰からも興味を持たれない可能性があるということである。
そもそも、話している相手と自分の魅力がかけ離れすぎていれば打てる手はない。
(厳密にはあるが、正攻法ではない)
もちろん負け犬がやりがちなしゃべりすぎて嫌われるということは無い。
そういう意味でやはり沈黙を心がけておくのがいいのかもしれない。
沈黙側(利き手側)に回る技術として大事なのは
その相手のファンであるかのように質問や反応をすることだ。
そうすると相手を自然にほめたり、励ましたり、共感できたりする。
特に目上の人物と話す時は従者になるつもりで話を聞けばいい。
まとめ
ここまで書いてきて
負け犬は、基本的に沈黙(聞き手)側になり
たまに意識的に勝ち組側の雄弁になるべきだと考える。
つまり、イメージとしては
相手をあげ自分をさげるイメージだ。
負け犬は、技術をごちゃごちゃ考えても意味が無いのでおとなしくこのイメージを持ち愛想よく振る舞っとけばいい。
NLPとか意識しなくていい。(勝ち組になってからでいい。)
あんなん負け犬にはキャパオーバーである。
(昔NLPのミラーリングしてたらなんか動きキモいよッて言われたことがある。僕はあれで心が折れて以来NLPが嫌いである。まあ、八つ当たりだが)
最後に言いたいこと
ここまで話し手に回るべきか聞き手になるべきか考えてみた。
しかしコミュニケーションの奥義は、言葉遊び(会話のテクニック)にはない。
コミュニケーションの奥義は、ステータスにある。(外見、金、権力、生き様)
つまり負け犬がコミュニケーション力を向上しようと思ったら、なんでもいいので自分が身につけられるステータスを手に入れるべきだ。
前にも言ったが大事なことなので繰り返した。
あなたの人間関係がうまくいくことを祈っている。
負け犬の僕が、もし勝ち犬が家庭教師をやるならどうするだろうか考えてみた。(大学生)
僕は、負け犬である。なので勝ち犬のことはあまりわからない。
(なので話半分でこの記事を読んで欲しい。)
僕は一年間塾講をやったことがある。
時給は1300円くらい。まあまあの値段。
しかしカリキュラム作成や授業後のレポートなどでなんだかんだ時間を取られたため実質時給は1000円位だった。
(もちろんコレは違法である。そもそもその塾との雇用契約書を読んでみたが中々ネタにあふれた雇用契約書だった。例えば、4月以外でやめるといった時にその月の給料を払わないなどである。どこ塾とは言わないが。)
懐かしい話である。
このことに僕は少し不満がある。
もちろん僕のバイト先の塾にではない。
そんな企業と知っていながら雇用されていたことのである。
僕は負け犬なのにさして経験値の入らない場所に籍を置き続けたことである。
そんな暇なんて負け犬の僕には無いのに。
(あの場所で一番学べたのは、権力を持っている人間が大声を出すと怖いということである。)
負け犬なのに受動的な環境に入り浸っていたことにである。
負け犬たちは、受動的に生きている。
コレは世の中の常である。
勝ち犬は能動的に生きている。
このことも世の理である。
本題に入る。
今日は僕のこのもったいなかった経験を活かして
能動的な(勝ち犬的な)家庭教師ビジネスを妄想してみることにする。
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