海外にとりあえず行こうと考えてる大学生。大半の人は意味のある国際交流なんてできないぞ
僕は、英語がそこまでしゃべれない。
コレは間違いない。(恥ずかしながら東日本大震災の話題にもあまりついていけなかった)
そして、つくづく感じることがある。
それは、言葉が流暢にはなせないと真の意味でのコミュニケーションなんてとれないということである。
(僕が話せないが仲良くしてくれる外人がいるのは彼らが優しいのもあるが、僕が道化に徹しているからである。生まれてこの方ここまで顔芸をしたことはない。)
日本でも居酒屋で働いていた時まあまあ仲の良い外人がいたが、彼女らは日本語が流暢だった。逆に日本語をあまりうまく話せない人間とは真の意味で仲良くなれなかった。
言葉があるレベルに達しない人間は真の意味での国際交流なんてできない。
コレは、真理である。
(特にアメリカやカナダなどのローコンテクスト社会ではコレが顕著だ。)
今僕はバンクーバーにいるが、残念ながらバンクーバーにいる日本人で英語をきちんと喋れる人は殆どいない。(まあ皆僕よりはうまい。)
真の意味で国際交流をしている人はいない。
ワーホリ勢はもちろん、語学留学生の大半の人も、交換留学生できている人もみんな満足に(外人と流暢に話せるレベル)英語を話せない。
大半の人間が相手の言っていることの半数くらいのことしか理解できず、拙い英語でどうにか自分の意見を述べている。
外人といて、何を言っているかきちんとわからず、言いたいことも細かいニュアンスまで伝わらずヘラヘラしているのを意味のある国際交流だというのは明らかに無理がある。
どこから来たの?
カナダライフはどう?
何作ってるの?
こんな会話をしたとこで得るものなんかなにもない。
コレは、国際交流もどきだ。
日本人は、英語が話せる人がほとんどいない。
そして、彼らは(僕も含め)国際交流もどきを行っているに過ぎない。
コレが1つめの国際交流が意味ないと考える理由である。
僕たちは浅学である。
浅学な人間は国際交流なんてできないということである。
具体的に言おう。キリスト教徒、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教のことについてある程度勉強することが国際交流の第一歩であるということである。
そしてそれから、世界の歴史についてもある程度学んでおくのが好ましい。
そして、その上で実際に様々な国の人達とコミュニケーションを取る。
この流れが本当に意味のある国際交流をするため必要なことだ。
外人とは、究極的に言葉だけで分かり合うことはできない。
当たり前の感覚が違うからだ。
そして、その当たり前の溝を埋めるために僕たちは勉強をしなければならない。
こんなこと言語道断だ。あってはならない。
(本当に食べようとしている人間がいて驚いた。急いで止めた)
国際交流の基本は相互尊重だ。
尊重という行為は相手の事をよく知っている人間のみができる行為である。
国際交流をしたかったら、彼らのことについて勉強しよう。
勉強を通して、より深いところで彼らのことがわかってくるし、
彼らに迷惑をかけることもなくなる。
逆に勉強をしないと彼らのことなんてわからない。
ある程度バックボーンを理解している日本人のことすら僕たちは満足にわからないのに外人のことなんて分かるわけがない。
まとめ
国際交流といえば聞こえがいい。
しかし、本当に意味のある国際交流ができる人間は、
「英語がかなり話せて、きちんと学がある人」だけだ。
もしあなたが、そのような高スペックな人間ならば海外に出ることでいろいろなことを学べると思う。意味のある国際交流をできると思う。
しかし、もしあなたが英語が話せなかったり、学がないなら海外に行く意味は殆ど無いだろう。変顔のスキルが上がるだけである。
特に女子は気をつけろ。
外国人は、一見優しいように見える。(女にだけ)
しかし、女に優しい外人の大半は体目的である。
(カナダでは日本人女性はイエローキャブと呼ばれている。)
それで優しくされて、海外の人の暖かさにマジ感動とかいうのはやめて欲しい。
僕の印象ではカナディアンは、男には冷たい人が多い。
一方イスラム圏の人には良くしてもらってる。
僕がこっちに来てうまくやれているのは、イスラム圏の人たちのおかげだ。
(もちろん優しくしてくれるカナディアンもいる。)
彼らは本当に優しい。僕も見習いたいものである。
日本に帰ったら僕も留学生に優しくしようと思った。